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鏡開き

Kagami

写真は、(みかんに押しつぶされそうな)我が家の鏡餅 苦笑)

今日は1月11日、ちょうど鏡開きということでバラバラの鏡について考えて(妄想して?)ます^^;

新年早々、奈良で大きな考古学的な発見があったそうです、

纏向遺跡のすぐ近くにある 茶臼山古墳より大量の銅鏡が発見されたそうです。

ところが、発見された鏡は、バラバラに砕かれていた?

産経新聞 1月10日 文化-主張-
卑弥呼の鏡

この記事だけ読むと、「ヤマタイ国大和説に有利となる物証の発見!」とも読めます。

倭国が大乱時にヒミコを共立して統一した「ヤマタイ国」はやっぱり大和!?

どうなのかな・・・

産経新聞(関西) 1月8日 
貴重な鏡“バラバラ”の怪

茶臼山古墳の場所は、三輪山のすぐ近くであり、最近話題になっている纏向遺跡の直ぐ近くにあります。

纏向遺跡、発掘が進むにつれて宗教と政治に特化した古代都市であったとのことが判り、また全国各地から(その地方の特徴的な)土器が集まっていたという事実も発見されたとのことです。

神武天皇が即位されて大和朝廷の最初の宮作りが行われた場所?とも考えられています。^^

「古代日本正史(原田常治)」では、初期大和朝廷の成立について、それを日向勢力(九州王朝=ヒミコ=イワレヒコ=神武天皇)による出雲勢力(大和系出雲=ニギハヤヒ=ウマシマジ)の征服としてとらえるのではなくて、大変お目出度い婚姻による大同団結(=東遷)という観点でとらえています。

神武東征は、イワレヒコとイスケヨリヒメの婚姻(イワレヒコの婿入り)によって出雲と日向の対立/分裂の危機を回避した・・・。

原田さんがこの仮説を発表されたとき、出雲地方ではめぼしい考古学的な発見は皆無だったそうで、「出雲神話は単なるお話し?」くらいな受け止め方をされていたそうです。それゆえに法螺吹きおじさん扱い?

ところがこの原田仮説を後押しするような考古学的な発見が(原田さんが亡くなった後で)次々にありました。最初の衝撃的なニュースは、1983~85年頃の358本という大量の発掘となった銅剣。考古学会に衝撃を与えたあの銅剣、荒神谷遺跡です。

どこか、今回の茶臼山古墳の鏡とどこかで根っこが繋がっているような気がしてなりません^^

「土中に埋められた大量の銅剣」と「粉々に砕かれた銅鏡」

なぜこんなに大量に? なぜ土の中に?

『剣』と『鏡』

三種の神器、もともとは出雲(スサノオ)の力のシンボルである『アメノムラクモノ剣』、九州(アマテラス=ヒミコ)の権威の象徴である『ヤタノ鏡』の二つだったそうです。

統治する国の支配下にある(庇護を受ける)契約の印としての「剣」あるいは「鏡」というシンボルがあったとして、それらを分配して統治を争っていた二国が団結して一つの国(大和)となったときに「鏡」と「剣」という旧いシンボルはどうなったか? 

それぞれ回収され、保管され、廃棄された?

なんの根拠も無いのですが・・ ^^;

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