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2010年2月

スクリーン研磨

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キャビーナのウインドスクリーンの研磨を試みます。ちょっとした人柱? 笑)

マイキャビーナ、既にウインドスクリーン(新品)を購入(6万7千円)し交換済みです。

100221092138_2 それまで使用していた小傷だらけのウインドスクリーンを使って、禁断の?ポリカーボネートの研磨にチャレンジです。

実は、新品を購入するまえに、紙ヤスリで視界のじゃまにならない下の部分を擦ってみましたが、傷を増やすのみだったのであきらめました。

もう新品を購入済みですので失敗しても大丈夫^^ 

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機械(オービタルサンダー)を使って大胆に研磨してみます。

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 研磨材として、耐水の紙ヤスリ 800番、1500番、2000番、超精密研磨フィルム(三共理化学)の4000番、6000番を用意しました。
(カインズホームで5枚合計の金額、1000円ちょい^^)



紙ヤスリ、直ぐに目が詰まってしまい、最初のうちはうまく研磨できませんでしたが・・・

そういえば「耐水」?

水で濡らしながらの研磨を試したところ、いい感じで研磨が進みました^^
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ウインドスクリーン、表面がガラスコーティングされている? 最初の一皮を削るのがけっこう大変! ^^;

100221102521また、ポリカーボネート自体もかなりの硬質な素材らしく、サンダーを使わずに(手での)研磨では無理っぽいです。

ペーパー、水に濡らしながら使用しても5分も使うと目詰まりして研磨効果が落ちていきます。一枚の耐水ペーパーから3回分(3枚分)切り取れますので、5分×3で15分くらいの作業となります。それを 800番→1500番→2000番→4000番 

途中で休憩とりながら・・・この日の作業は4000番まで ^^

[追記 3/1]

前回作業では超精密研磨フィルムの4000番までやって、わりといい感じ♪で研磨できていましたが、6000番で研磨しても、ガラスのような透明感は・・・出ませんでした orz

たまたま目に付いた金属研磨材の「ピッカール」を(研磨フィルム6000番を取り付けたままの)サンダーでバリバリと研磨したら・・・

かえって悪い状態、全体的に「くすみ」がかったような感じになってしまった orz

「ピッカール」が悪いのか、サンダーに布状のもの(バフ?)をしなかったのがマズかったのか?

そもそもオービタルサンダーでの研磨では、これ以上は無理なのか?

さぁて、どうするかな orz

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フジタカヌー KG-1

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荒れ狂う波風・・ならぬ娘の攻(口)撃に打ちのめれながら必死に耐えています orz

すべて私が悪いんです。買っちゃいました・・ 

昨年、家計の収支バランスが崩れたため、家族分を含め携帯電話すべてを解約したうえで、2台あった自家用車を処分するなどして節約生活を続けています。

健気な長女はアルバイトで得た給料から毎月毎月家計を助けてくれているわけです・・・

そんな状況下にあって・・・、また衝動買いをしてしまいました。^^;

フジタカヌー KG-1 ♪

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持ち運び可能な折りたたみ式のカヌーでありフォールディングカヌーというカテゴリーの舟となります。この舟(KG-1)日本のカヌーシーンのあちこちに登場します。有名なカヌーイストのツーリング記録を読むとKG-1を使っていると書かれていたりするものです^^

もう発売されて相当の年月が経ちますが、いまだに現役で製造販売されつづけている優れものです。

オークション即決価格で4万円! 

100227132910_3しかもスプレースカートやパドルなどのオプション一式完備しての価格です。新品ですべて揃えるとすると20万円相当?

気がつくと、落札ボタンをクリックしていました ^^;

私のカヌーは去年の春にベニヤ板で自作したカヌーですので自家用車を処分した時点でカヌーツーリングが出来なくなっていました。 寄居町からスタートした荒川下りは秋ケ瀬で中断しています。神田川ツーリング(ドブ川紀行)の計画も開始することができずにいましたが、ようやくカヌーライフを再開できそうです。

今吹き荒れている暴風雨(娘の非難^^;)も、いつしか穏やかな凪となり・・・・穏やかになってくれることを祈るのみです orz

[追記 2/27]

組み立て図面(欠品だった?ようですが、わざわざメーカーより取り寄せくださり、別便で送付いただけました^^)

100227132923 100227132944  左図の中央のイラストを見て納得^^

そういう手順なんですね♪

最初の一回目はかなり苦労しましたが・・・一時間くらいかけてじっくり組み立て ^^;

100227133032 木製のフレームアッシーで一部破損しているところがあり金属で補強してあります。(2箇所)

100227133048船体布で穴が・・・ 

この穴、わりと高い位置、空気袋(スポンソン?)の部分ですので船内に水が浸入することは無さそうですが・・・・・ 

黄色のガムテープで応急措置をしましたが、内部にも貫通した穴があるようで、スポンソンの穴は(込み入った場所であり)ガムテープでの補修ができませんでした。(取り外して補修すればいいのかな?)

 左の空気袋(スポンソン)が膨らまない! これは、ちょっと予想外 orz

(まぁお値段がお値段なので仕方ないかなぁ・・・ ^^;)

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組立作業、中腰の作業なので、腰にダメージを受けました。組み立て終わった頃にはヘロヘロに・・ orz  漕ぎ出す前にこんな調子じゃぁなぁ・・・^^;

[追記 3/2]

船体布をひっくり返して、スポンソンの端に紐(5mのLANケーブル^^)をガムテープで固定した後、引き抜きました。(引き抜くときに、紐が通されるようにするのは修復後にもとに戻すための準備です。)

案の定、船体布の穴があった位置に丸い穴が空いており空気が抜けてました。ガムテープでぐるぐる巻きにして仮塞ぎにしてみました。

非常に心もとない補修ですが、いちおう膨らむようにはなったぞ♪ ^^

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ヤマトの「武」の情景 (2)

ヤマトの「武」(であり「武」ウチノスクネでもある)幼名オウスの命は、国造の娘である山下影姫を母として紀の国に生まれたとのことです。

司馬遼太郎の初期の作品(歴史エッセー)で出雲国の国造が現代においても正式な制度として島根県に存続し続けていることについて「真昼に幽霊でも見るような驚き」をもって書かれたものがあります。7世紀頃、先進国の中国にならって時代の最先端ともいうべき律令制度を導入し中央集権国家という近代化を目差していた当時の日本政府(朝廷)。新しい制度の導入時、(神武建国の始めから続いてた古い制度である)国造を廃止して律令国家に挙国一致で移行するべき時に、なぜか「出雲国造」だけは特別扱いをしてそのまま存続を認めたという事実とその(神武建国の始めから続いてた古い制度である)国造が現代まで存続しているということ。

今回、紀の国について調べるまで知らなかったことですが、「紀伊国造」も(出雲国造と同様に)7世紀の朝廷から国造として存続を認められていたということです。

なぜ出雲と紀伊の二国だけが特別扱いを受けたのか? 出雲について判ります、ある意味当然です。スサノオやオオクニヌシの出雲神話の出雲であるので理解しやすいですが何故に「紀の国」が?

「紀の国」は、色々と特別扱いされるだけの理由がありそうです。^^

●地理的な特徴

Kii大和盆地への南の玄関口である葛城から葛城古道(大和街道)を越えて紀ノ川沿いに進めば和歌山市(紀の国)に辿りつきます。そして和歌山市は瀬戸内海経由で四国九州方面に向かうことも、太平洋経由で熊野、伊勢、尾張などの東国に向かうこともできる海上交通における要所に存在します。

古代において、陸上の道路網がさほど発達整備されていない時代における船舶による水上交通は非常に重要だったと思われます。そして紀氏は古代日本の水上(海上)輸送に関して大きな力(船舶建造技術、航海術)を持っていたことは、その後の熊野水軍などの存在を考えると間違いの無いところだと思います。

景行天皇が紀の国に留まって紀氏と血縁関係を結んだ理由のひとつに、紀氏の持つ船舶&航海技術、もっと分かりやすい言葉で言い換えると、水軍(海軍)としての紀氏の力を利用するために良好な関係を築きたかったことと思われます。

オウスの命は、母の兄である紀の国造である叔父さんに可愛がられ、当時の最新鋭の乗り物である「戦舟」に乗せてもらい航海術のイロハを教えてもらったに違いありません。大きな舟を所有することが出来るのは権力者に限られた時代であると思われます。
潮や風の読み方など(詳しいことは知りませんが^^;)舟を操ることについても一部の限られた人たちの特殊技能?だった時代においてオウスは幼少時代からそれを身近に学ぶことができる環境があり見事に習得していたことと思われます。

ヤマト「武」として、あるいは「武」ウチノスクネとして日本狭しと国内国外を転戦する姿を思うとき、この想像はそんなに的外れでは無いような気がします。^^

●日前神宮・國懸神宮

紀伊の国の一の宮である両神社のご神体は「鏡」であるとのことです。wikipediaでは以下の説明がされていました。

 

~ 社伝によれば、神武東征の後の神武天皇2年、紀国造家(紀氏)の祖神である天道根命(あめのみちねのみこと)が、八咫鏡に先立って鋳造された鏡である日像鏡・日矛鏡を賜り、日像鏡を日前宮の、日矛鏡を國懸宮の神体としたとしている。 ~

「八咫鏡」を鋳造したのは、紀国造家(紀氏)の祖神である天道根命だった・・・・とは書かれていませんが(断定できるような情報は持っていませんが) いずれにしても、紀氏が「八咫鏡」と縁の深い氏族であることは確かなことのようです。

●皇室の外戚

崇神天皇は紀氏と血縁を結んで(紀の国造の娘を妃として)豊城入彦をもうけます。

崇神天皇の第一皇子で毛野国の開祖である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)、三輪山の頂上に上って東に向かって槍や刀を振り回す夢を見たために東国(毛の国)に派遣されたわけです。
皇子は(オウス同様に)紀氏の国で生まれ、幼少~少年期をそこで過ごしたことと思われます。また豊城入彦の姉(妹?)に豊鍬入姫命がいます。

崇神天皇の皇女である豊鍬入姫命がアマテラスのご神体である「八咫鏡」に奉仕して、新しい遷座の地を求めて何年も放浪することになった話があります。そして最終的遷座地である伊勢に落ち着き今に至るわけですが、途中の仮の遷座地が元伊勢と呼ばれ各地に(何箇所も)残っているということです。

この放浪途中にアマテラス「八咫鏡」に御奉仕された豊鍬入姫命ですが、ただ単に天皇の娘(未婚の姫)であるから選ばれた訳でなくて、姫の母親が紀氏の国造の娘であったから選ばれた・・ということなのではないか??

紀氏は「鏡」の製造技術をもった一族であり「八咫鏡」に対しての製造物責任?を負う立場であったということなのでしょうか・・・。おそらく豊鍬入姫命といっしょに遷座地をもとめて移動(放浪)した部隊の主力メンバーは紀氏の部民を中心にして構成されていたということでしょう。

ところで、この豊鍬入姫命は、熊襲退治にでかける15歳のオウス君に「女装グッズ」を与えたり、東征(蝦夷退治)に向かう途中でめそめそ愚痴るヤマトの「武」に「草薙の剣」と「火打石」を渡したりした伊勢神宮の倭姫その人!ということらしいです。(記紀では倭姫を豊鍬入姫命とは別人として記述していますが世代追加のために造られた実際には存在しない架空の姫だそうです。あるいは豊鍬入姫命の通称が倭姫であったとも考えられる?)

豊鍬入姫命は故郷の紀の国において、可愛い「オウスちゃん」の頃からその成長を見守ってくれていた優しい叔母さんだったということですね。

「油断せずにしっかりやりなさい!」と励まして送り出したときの慈愛に満ちた姿が目に浮かぶようです。^^

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たびランナー

旅ランナー? じゃなくて、(平日の夜は)足袋ランナーです。^^;

市民ランナー4年目(4シーズン目)、すこし頑張って走るとすぐに壊れる?最近です orz

「ゆっくり走れば速くなる」ということで、ダメージを減らすべくスローペース(キロ7分ペース)で走っていたにもかかわらず! シンスプリント、アキレス腱炎・・・

ケア不足があるのは確かですが・・・

そんなときアメリカの研究者が発表した「裸足のほうが靴を履いて走るよりもダメージが少なく故障しにくい」という論文があることを知りました。

http://www.healthdayjapan.com/index.php?option=com_content&task=view&id=2296&Itemid=37

~~ 研究の結果、裸足で走る人の多くが「フォアフット・ストライクfore-foot strike」(かかとを下ろす前に足の母指球の外側で着地する走法)で走る傾向があったのに対し、靴を履く人の75%以上がかかとから先に着地してい た。専門家によると、ヒトの足は裸足で歩くことに対応しておそらく600~700万年前から特殊に進化してきており、200万年ぐらい前には裸足で長く走 るための微調整がなされたという。 ~~

裸足ラン、3年ほど前、やはりアキレス腱炎のときに取り組んだことがあります。
そのときは、裸足ラン以外にエアロバイクとかもやっていて、痛みが小さくなったことについて、裸足ランの効果かどうか確信がもてなかったのですが・・・
なんとなく感じたことは、フォームの矯正効果があるのかな?? くらいの漠然とした感覚でした。 (確実な効果としては 「水虫の完治」 笑)

論文を読んで、故障つづきの最近のコンディションを考え、「裸足ラン」をもう一度練習の中に取り入れようと決心しました。

ただ、文字どうりの「裸足」では無くて、裸足に近い「地下足袋」で少しづつ脚を馴らしていくつもりです。

文字どうりの「裸足」で走るには、芝生とか土のトラックとか練習場所が限られてしまいますが、地下足袋の場合は自宅周辺で練習可能です。気軽に実践することができます^^

2回(3km×2)試してみましたが、カカト着地で走るとあきらかに地面から骨を伝った衝撃を受けるのを強く感じます。つまさき着地でないと衝撃が大きいです。そしてつまさき着地で走りつづけるにはフクラハギとかの筋肉がいまだ充分で無い・・・

効果が現れるのは来シーズンだろうな~~  orz

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侍マラソン(ご案内)

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~ 安政2年、藩主の命により始まった徒歩競争・・・・とおあし。
時を越え時代が変わって繰り広げられる、熱きライバルとの戦い。そして記録への挑戦。
安政遠足。第36回の戦いの火ぶたが・・・いま、切って落とされる。 ~

おぉ~~! 名調子です ^^

会社から帰ると、安政遠足(とおあし)保存会より、第36回安政遠足(侍マラソン)の案内状が送られてきていました。去年(35回)、一昨年(34回)と連続参加しているお気に入りの大会です。

ここ数年、市民ランナーとしてあちこちのマラソン大会に参加していますが、実際に走ってみて沿道で応援して下さる人たちの笑顔が最高のレースは、この大会をおいて他ではありませんでした。

ただ・・・、その笑顔は文字通りの「笑い顔」だったりします。 ^^;

案内状の一文、大きな太字フォントでご案内されている文句、「節度ある身支度で」 ^^;

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まぁ、そんな堅苦しいこと言わずに ^^

お祭りレースとしてみんなで楽しく走ればOKなんじゃないかなぁ~

日本各地の由緒正しきお祭り、けっこう楽しい(あぶない?)ものがあるようで、侍マラソンの仮装くらいなら全然OK、皆さん、充分に節度を堅持していますよ ^^

・・・・
インターネット倫理委員会(その実体は家族^^;)の指摘により、日本の由緒ある神社のお祭りを紹介するyoutubeなどの記述は削除しました 苦笑)
・・・・

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出初式にて

日曜、強風の中、団地自治会の消防団の出初式ということで消防服(耐火服)に身を包み集合場所の団地ロータリーへ。

小竹を4本立てた結界の中に小さな(持ち運び可能な)お社が据えられてました。
来られていた若い神主さん、高麗家直系の次代当主でしょうか?(違うかな?^^)

一連の祝詞奏上と御祓いが済んだ後は広場で消化訓練、消火器の取り扱い説明、団地内の消火栓点検ですが、この強風の中で出来るの?? 

普段なら近所の子供たちも参加して、はしご車に乗せて貰ったり・・・お楽しみを兼ねた消防訓練ですが、流石にこの風の中・・・関係者以外は誰もいません ^^;
(消防車はそのまま帰ってしまいました 笑)

ただ、消化訓練は(その強風の中で!)予定どおり実施され、消防部員による消防部員のための消防部員の訓練となりました。 ^^;

毎年指導を担当されている消火器業者の方からのお話
(怪しげな消火器販売業者のセールストークについて)

「消防署のほうから来ました」

あたかも消防署職員であるかのような語りで、消防署とは関係が無くて、消防署の方角から来ました・・・というオチ ^^

上の例は個人宅レベルでのセールストークですが、中小企業を狙い数十万規模の契約を強引にとりつける悪質なセールストークがあるようです。

「ハンコくださ~い 」

宅急便だろうと思ってハンコを渡すと、契約書類に(勝手に)押印したうえで、その会社の中の全ての消火器を強引に薬剤交換したうえで数十万の請求書をつきつける・・・
(契約書にハンコが押されて合意のうえで実施したということで裁判になっても負ける?)

怖いですね~ 
あ~イヤだイヤだ ><

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ヤマトの「武」の情景 (1) 

これから何回かに分けてヤマトタケ(る)について書いていこうと思っています。

記紀に書かれたヤマトタケル伝説のストーリーを今更自分なんかが紹介する必要もないですが、ヤマトの「武」=「武」ウチノスクネを前提として色々と妄想を繰り広げていきます。

歴史の専門家にとっては鼻つまみモンの内容かもしれませんが、ま、そこのところ承知のうえで(あまりムキにならずに^^;)軽く笑いとばしていただくということで・・・・

「武」ウチノスクネ(=ヤマトの「武」)は日本書紀の記述によると、父親である武雄心命(=景行天皇)が紀の国の9年とどまって山下影姫に生ませた子ということです。

16才で熊襲タケルを討つことで一躍有名になりますが、この最初の戦いでは女装しての不意打ち作戦をとっています。そしてその女装がバレないほどのいい男だった。今の芸能人で考えると誰? たとえばキムタク?のような? ^^;

このことから考えるに、かなりのイケ面だと思われます。
かりに母親似だったとしたら・・・お母さんである山下影姫は相当の美人であったと思います。 笑)

お母さん=美人 については、景行天皇(=武雄心命)に関しての記事で、
「・・・の国にすごい美人がいるとの噂だが、お前ちょっと様子を見て来い」といって兄貴のオオウスに見に行かせるというエピソードがあります。(この美人は山下影姫のことではありませんが)

どこにでもいる中年オヤジの発想ですね・・・笑)
(ごく普通の心情をもった健康な男性だったってことですね^^;)

ただ、武雄心命が山下影姫を妃とした理由は、ただ単に姫が美人であっただけではないように思われます。

容姿よりも重要なわけは・・・「紀氏」の娘であったということです。

大和の古代皇族と有力豪族との関係を考えるとき紀氏との間に強力な信頼関係を構築できるかどうかということは極めて重要なことであり、景行天皇のその後の活躍を考えるとき、景行天皇は山下影姫と婚姻関係になれたことは非常に幸運な出来事だったと思われます。そしてヤマトの「武」にとっても。

母親が紀氏の娘であったということは(古代の通い婚という風習の中において考えると)ヤマトの「武」(幼少期においてはオウスちゃん?)は紀氏の中で育てられ幼少~少年期を過ごしたということになります。

ヤマトの「武」のその後の活躍を理解するには、まず紀氏について正しく理解することが重要となります。

その紀氏♪ ちょっと色々あって凄いんです^^

そういえば自分のハンドルネームは「紀」伊九郎だなぁ~ (全然関係無いけど・・^^;) 苦笑)

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秋津遺跡

ヤマトの「武」 = 「武」内宿禰 を後押しする考古学的な発見がありました。

先月のことになりますが、1月20日の新聞で奈良の遺跡での新発見の記事です。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100120/acd1001202038005-n1.htm

葛城の御所市の秋津からの巨大祭祀施設の出現!

この遺跡の南西1kmの位置ある室宮山古墳はニュース(史学会の通説)では、「葛城氏の始祖襲津彦の墓」ということになっていますが、古来より武内宿禰の墓として伝承されている古墳です。

下はpanchoさんのレポートです。

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-3/2010_0124.htm

この秋津遺跡の場所は、日本書紀で白鳥になったヤマトタケルが墓から飛翔して最初に降り立った「琴弾原」そのものなんです !

出ましたね~ 考古学的発見が♪

前々から葛城のこの地域の地名である御所(ゴショではなくてゴゼと読みますが)を不思議に思ってました。

しかも秋津という地名。大日本豊秋津洲(おおやまととよあきつしま)の秋津なわけです。

琴弾原の「琴」についても、なんとなく武内宿禰との関連を想像してしまう地名です^^

室宮山古墳(室の大墓)、今がチャンス!?

ヤマトタケ(る)=成務天皇=武内宿禰の御陵が(本来なら宮内庁管理下にあり簡単には近づけれないハズの場所が)今ならすぐ近くまで立ち入り可能です!

http://kofuntokaare.tonosama.jp/page371.html
~~巨大石棺を間近で見学できるチャンス。~~ 

だそうです^^

パワースポット的な価値は、三輪山(ニギハヤヒ御陵)に匹敵する? 笑)

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