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パワースポット巡り(2) 日前神宮・國懸神宮

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和歌山では、「伊太祁曽神社」のほかに「日前神宮・國懸神宮」と「竈山神社」を訪問しています。

最初は、神社の呼称についての素朴な疑問? ^^

○○神社、○○大社、○○神宮、○○宮、○○社 とか色々あるようですが、これらの呼称の使い分けはどうなっているか?

明治神宮のQAページに次のように書かれています。

~ 神社の呼び方には「○○神社」また明治神宮のように「○○神宮」、そして「○○八幡宮」や「○○大社」「○○社」など様々な呼び方があります。はじめに明治神宮のように「○○神宮と称するものには、そのほかに熱田神宮・香取神宮・平安神宮などがありますが、これらは古代から皇室と深いつながりを持つ神社、あるいは天皇を祭神とする神社です。また北海道神宮・英彦山神宮は戦後になって「○○神宮」を称しましたが、その際には特に御聴許を願い出た上で改称しています。そして「神宮」といった場合、これは伊勢の神宮を指します。「伊勢神宮」は通称で「神宮」が正式な名称です。「○○宮」には鎌倉宮のように親王を祭神とする神社のほかに筥崎宮のように古来から「○○宮」と称する神社があります。また東照宮・水天宮・天満宮・八幡宮のように伝統的な呼称(神仏習合時代に成立した呼称が多いようです)に基づくものもあります。つぎに「○○大社」については、かつての官国幣社制度の下では出雲大社だけが「大社」を称しました。しかし、戦後になってからは住吉大社・春日大社・諏訪大社・三嶋大社・富士山本宮浅間大社などのように、「大社」の呼称が増加しています。この基準としては全国に多数ある同名の神社の中で宗社にあたる神社であって、旧社格が官幣大社・国幣大社であることを基本としています。いずれにしても今日では、これら呼称の違いは神社の格の上下を律するというより、由緒に定められているものといえます。「○○社」の称号は、大きな神社から御祭神を勧請した神社に用いられ、神明社や天神社などがあります。 ~

単に「神宮」と言ったら、それは「伊勢」のことであり、「大社」と言えば「出雲」のことだったと。

興味深いですね~ ^^  (「神宮」と「大社」、「天津神」と「国津神」 どこか、ひっかかるものを感じます^^;) 

さて、話を戻して 「日前神宮・國懸神宮」ですが、上の説明にそって考えると(ご祭神は歴代の天皇ではないので)古代から皇室と深いつながりを持つ神社、ということになります。

さて、「日前神宮(ひのくまじんぐう)・國懸神宮(くにかかすじんぐう)」については、以前このブログの中で、ヤマトの「武」の母親である山下影姫の氏族である「紀氏」について考えたときに、次のように書いてます。

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紀伊の国の一の宮である両神社のご神体は「鏡」であるとのことです。wikipedia では以下の説明がされていました。

~ 社伝によれば、神武東征の後の神武天皇2年、紀国造家(紀氏)の祖神である天道根命(あめのみちねのみこと)が、八咫鏡に先立って鋳造された鏡である日像鏡・日矛鏡を賜り、日像鏡を日前宮の、日矛鏡を國懸宮の神体としたとしている。 ~

「八咫鏡」を鋳造したのは、紀国造家(紀氏)の祖神である天道根命だった・・・・とは書かれていませんが(断定できるような情報は持っていませんが)いずれにしても、紀氏が「八咫鏡」と縁の深い氏族であることは確かなことのようです。

崇神天皇は紀氏と血縁を結んで(紀の国造の娘を妃として)豊城入彦と豊鍬入姫命をもうけます。

崇神天皇の第一皇子で毛野国の開祖である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)、三輪山の頂上に上って東に向かって槍や刀を振り回す夢を見たために東国(毛の国)に派遣されたわけです。皇子は紀氏の国で生まれ、幼少~少年期をそこで過ごしたことと思われます。また豊城入彦の姉(妹?)に豊鍬入姫命がいます。崇神天皇の皇女である豊鍬入姫命がアマテラスのご神体である「八咫鏡」に奉仕して、新しい遷座の地を求めて何年も放浪することになった話があります。そして最終的遷座地である伊勢に落ち着き今に至るわけですが、途中の仮の遷座地が元伊勢と呼ばれ各地に(何箇所も)残っているということです。

この放浪途中にアマテラス「八咫鏡」に御奉仕された豊鍬入姫命ですが、ただ単に天皇の娘(未婚の姫)であるから選ばれた訳でなくて、姫の母親が紀氏の国造の娘であったから選ばれた・・ということなのではないか?

紀氏は「鏡」の製造技術をもった一族であり「八咫鏡」に対しての製造物責任?を負う立場であったということなのでしょうか・・・。おそらく豊鍬入姫命といっしょに遷座地をもとめて移動(放浪)した部隊の主力メンバーは紀氏の部民を中心にして構成されていたということでしょう。

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本来、神宮と呼べるのは「伊勢(=アマテラス=八咫鏡)」だけだったということから考えると、日前神宮・國懸神宮については、お祭りされているご神体が八咫鏡の兄弟鏡であるので(歴代の天皇では無いけれども)神宮の呼称となった、ということなのでしょう。

それにしても、日前神宮・國懸神宮の現宮司(当主)の紀俊明氏は、まぎれもなく古代の紀伊国造からの直系、第81代の「紀伊国造」であられるそうです。

その系図を遡ると、欠史八代とか言われている(専門家が避けている?)時代よりもはるかに前の、神話として実在を無視(否定)されているような時代、神武東征のときに手柄をたてて初代紀伊国造として国司に任命された「初代紀伊国造、天道根命(あめのみちねのみこと)」に辿りつくことになります。

日前神宮・國懸神宮の何がスゴイかというと、初代神武天皇の世に活躍した人物を始祖として、今に至るまで連綿として絶えることなく続いている「家系」。そう「紀氏」としてこの現代に生活している事実こそが、重要無形文化財(あるいは人間国宝?)的な価値であるように思えます。

wikipediaの紀伊国造では次のように書かれていました。

~ これほどの古い家系を今に伝えているのは、天皇家を除くと、出雲国造家の千家・北島の両家、阿蘇神社の大宮司である阿蘇家、宇佐神宮の大宮司である宮成・到津の両家、隠岐国造家であった億岐家、籠神社の宮司である海部家、熱田神宮の大宮司である千秋家、住吉大社の宮司である津守家、諏訪大社の大祝である諏訪家(神氏)ぐらいともいわれ ~ 

以下、訪問(参拝)しつつ、撮らせていただいたお写真を紹介しますが、社殿よりも何よりも、日前神宮・國懸神宮の現宮司(当主)の紀俊明氏にお会いすることのほうが重要だったかもしれません。(残念! 無理?失礼? かな?^^;)

001_2 002_3 和歌山市の中心部から程近い場所、国道に沿ってこんもり繁る神社の森を見ることができます、参道は国道の反対側、ちょっと廻り込んだ場所になります。( 駐車場、有料と書かれていましたが、参拝者は無料であるとのことでした^^)

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両神宮は、道路に面した一の鳥居をくぐって真っ直ぐ歩き、突き当たって右が「國懸神宮」で左が「日前神宮」と書かれていました。(まずは、右の國懸神宮に向かいました。)

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途中に摂社が幾つかありましたが、初代紀伊国造である天道根命を祀った神社もありました。

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ふたたび、もときた道を戻り、こんどは左側の 「日前神宮」のほうに向かいます。



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この「日前神宮・國懸神宮」の次に「竈山神社」にも訪問(参拝)しています。この神社には神武天皇(イワレヒコのお兄さんであるイツセノミコトが祀られています。

神武東征ものがたりにおいて、ナガスネヒコの矢を受けて傷つき倒れ、この地に葬られたというご由緒を持つ神社となります。

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イツセノミコトについても以前ブログで書いたことがあります(若干?妄想過多ですが 笑)

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