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パワースポット巡り(10) 佐太神社(出雲国譲りと神在月)

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9月9日、帰り道において佐太神社に立ち寄りました。

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八百万の神が集う出雲国二ノ宮の「佐太神社」です。

かれこれうん十年前に^^; 学校の授業で「神無月」というのを習いましたが、全国の神が不在となって神無月となる一方で出雲地方については全国の神が集結するので「神在月」となるとか。その出雲での集結場所がこの佐太神社であり、それをとりしきっていた人(神)が佐太大神ということらしいです。

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佐太神社(佐太大神)については、なにやら複雑な歴史的(政治的)経緯を経ているようで、ご祭神のあり方についてスッキリしません。そして佐太大神については古事記、日本書紀には記述がありません。

・そもそも「なぜ」八百万の神さまが全国から(遠方から)終結したのか?

・天津神系のご祭神(イザナミ、イザナギ、アマテラス、ニニギ)が多いのはなぜ?

・秘説四柱とは? そもそも佐太大神は誰なのか。

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これらの佐太神社や神無月について疑問に対して、スッキリと答えてくれるのが「古代日本正史(原田常治)」です。

「サルタヒコ(佐太神社)」と「神無月」そして「出雲国譲り」の関係について、古代日本正史(原田常治)の中で説明されている仮説を紹介します。

※「武御名方富尊の執念」の章、相続争い (P387~)より

~武御名方尊は、出雲の神君、素佐之男の末子須世理姫と、養子の大国主との間に生まれた三人の中の末子で、出雲の正統相続人である。・・それが、父の大国主が、日向の邪馬台国西都で、日向妻の多紀理姫の許で亡くなった。その多紀理姫の生んだ二男一女の末子、事代主が、日向、出雲全体の相続人ということになったが、まだ幼なかったから九州のほうは、祖母の大日霊女尊が代わりに政治をして女王になった。そして、出雲の相続権も主張して、出雲を事代主に明け渡すようにと度々交渉があった。しかし、父の大国主は養子であるから、出雲の素佐之男の血統は、武御名方が正しいと考える母の須世理姫とともに、出雲は絶対に渡せないと、頑として拒否した。・・日向側は、あくまで末子相続権を主張して、平和裡に話が進まないなら、仕方がない武力に訴えても相続すると、最後には天児屋根、タケミカヅチ、経津主の三軍を動員し、幼い事代主と母の多紀理姫を擁して出雲へ乗り込んできた。~

※「謎の人、大国主と出雲国譲りの真相」の章、出雲国譲り(P360~)より

~その時、出雲半島の突端、関の五本松の下の今の美保ガ関に、事代主、多紀理姫の母子を待機させて、松江の方へ乗り込んでいる。日向軍は全部松江大橋川の北岸に上陸している。・・松江大橋川を挟んだ決戦は簡単に終わったようである。むしろ、武御名方は、ある程度手兵を温存して脱出したのではないかと思われる。

※「天照大神(大日霊女貴尊)の生涯」の章、出雲占領と議会政治 (P287~)より

~武御名方を出雲から追放した後、誰が出雲の政治をやったか。これが驚いたことに、大国主時代に九州統治の責任者として出雲から西都に出張していた猿田彦を逆に抜擢して当たらせたのである。・・ 猿田彦は、まだ気持ちの上で納得できずにいる出雲族のタカ派たちを刺激しないように、一族の住んだ松江の南側から、はるかに遠い松江駅から八キロも北の、現在の鹿島町宮内に出雲政庁をおいた。そして当時としては最高の民主政治であると思われる、族長議会政治を行った。その議会は十月に行われた。当時の出雲と隠岐の神(部族長)は、百八十六名と伝わっている。それが一堂に集まるから、ここを神在社といい、他の出雲中には、神がいないということで、「神無月」といった。十月を神無月というのは、出雲、隠岐だけの神無月で、これを日本全国のようにデッチあげたのは、それから四百年も後に日本書紀ができたあとの霊亀二年に、現在の出雲大社を造ってからの話である。~

原田常治さん(古代日本正史の中で)、非常に大胆な仮説を(すぐ横で見てきたかのように?)確信に満ちて記述しています。(ゆえに、法螺ふき扱いされる? ^^;) 一読の価値ありです^^

佐太神社では、後年、平田篤胤説にもとづいて「佐太大神をサルタヒコであるように表記せよ」と圧力がかかったときに、神社側ではそれを(その時は)拒否して、佐太御子大神として表記したとのことです。

「御子」とあるときに「誰の?」という疑問がわきます。紀伊九郎としては、出雲において説明不要のヒーローであるスサノオの「御子」、スサノオの長男の「八島野尊」を連想するわけです。
猿田彦が出雲国譲りの非常に難しい政局を乗り切れたは(出雲族からの絶大な信頼があった)スサノオの長男(御子)の八島野尊であれば簡単に説明がつくわけです。

あくまで想像の域を出ませんが・・・。(紀伊九郎はサルタヒコは八島野尊であるという説に惹かれてます^^)

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佐太神社を参拝した後は、一路、和歌山にむけてレンタカーで高速を飛ばしました。(夜の和歌山発の夜行バスに乗って帰途につくため)

なんとか日暮れ前に和歌山に到着できたので、当初は予定には無かった和歌山城を見物することができました。旧国宝ということで立派なお城でした^^

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9月のパワースポット巡り、これにて(やっと^^;)-完-

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