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ヤマトの「武」の情景 (6)

ヤマト「武」の情景、なかなか更新できません^^;

そろそろ、「ヤマトの武」=「武ウチノスクネ」の父親である「武雄心命」=「景行天皇」の視点からいろいろ妄想したいところですが・・・

前回、無理やりに?スカイツリーの634mに因んでムサシ=武蔵の命名の由来であるところのヤマトの「武」の故事について、紹介しました。

>このムサシ(武蔵)の語源はどこにあるかというと、
>東京都青梅市にある武蔵御嶽神社にまつわる
>日本武尊(ヤマトタケル)の故事、
>
>~日本武尊が東征の際に御獄山上に武具を蔵したために
> 「武蔵」の国号が起こったといわれる。~ 
>
>というのが国号「武蔵」の由来とされています。

今回はその続き、すこし追記します。

この武蔵の国の語源ともなった、武具を蔵したという故事、秩父の武甲山にもあります。

 
武光山とも書かれ、向山、蔵王山、秩父嶽ともいわれた。古書には武光を「たけみつ」と呼んだらしく、いつの頃からか「武光」の「光」が「甲」になったという。山名の由来には日本武尊が東征の時、遠望した形が甲に似ていた為とか、戦勝祈願に武具・甲冑を奉納した為とか、秩父の向うにあるのでムコウサンとするなど諸説あり。古来、信仰対象の山で、山頂に御岳神社を祀る。

江戸時代からどちらが本当か?ということで色々と揉めたらしいんです。

(参考論文:http://e-lib.lib.musashi.ac.jp/2006/archive/data/k0019-09/for_print.pdf )

秩父の武甲山のそれは地名として「岩蔵」という場所が近くに無く、青梅の武蔵御嶽神社の場合には岩蔵温泉にヤマトタケルが武具を納められたものを移し変えたという伝承があり、現在では圧倒的に武蔵御嶽神社が優位になっているようです。

優位というのは、多くの人(観光客?住民?)に支持されて、立派に整備されているということ。^^;

ヤマトの「武」さん、あちこちで身の回りの小物を埋めたりしながら、神祭りをしながら進軍されたようなので、ひょっとしたら両方あり? 行軍の往路で戦勝を祈願して埋めたのが武甲山、復路(帰路)で温泉に入りながら埋めたのが岩蔵温泉(武蔵御嶽神社)ということも考えられるのでは? ^^

いずれにしても、秩父にはヤマトの「武」ゆかりの地名が名所が点在していますので、どちらが本物の武蔵の語源か?ということはさておいて、ヤマトの「武」さんが秩父を通過されたことについては、確かなようです。(確か?といっても、火の無いところに煙は云々・・的な確かさですが)

秩父地方での足跡、有名どころでは

寶登山神社のオオカミとヤマトタケル伝説

・小鹿野の日本武尊神社と地名伝説

所属走友会(WGM)年中行事のひとつ、春のマラニック「外秩父七峰縦走トレイル」コースで近くを通過しますが、

日本水(剣を岩に刺し入れたら水が湧いた)伝説

・使っていた箸を挿したら木になった?二本木峠の植樹伝説

もう、あちこちにあります。

昨日ネットでみつけた「(秩父の神社に参るブログ)大通領神社」やはり外秩父七峰縦走トレイルコース近く、日本水の史跡よりさほど遠くない場所にありますが、ヤマトの「武」の伝説があるそうです。

妙に具体的でヤマト「武」ご一行とそれを出迎えて見送る村人の様子が生き生きと表現されていたので引用して紹介します。


《 伝 説 》
 【 白 鳥 】
往古、ご東征中の日本武尊のご一行は、山里の高斯野(たかしの)にご一泊なされた。当時は矢那瀬と波久礼の間は、岩山が荒川まで突き出ていて通れなかった。尊のご一行は、三沢の村から釜伏峠を越して淀居(寄居)の里へ出る予定をたてた。早朝、三沢の山中に入られたご一行は、山を登りながら道に迷い、ぐみの木峠を越えられた。そして、大内沢村の上ノ貝戸部落に下りて来られ、そこで休憩をなされた。

村人たちは、大急ぎでうす塩汁をつくって昼の斎をまいらせた。また、村人たちは山の幸と川の幸を献上した。尊は大変お悦びになり「この土地は幸多く将来栄えるだろう」というお言葉を賜った。ゆっくりご休憩になり、そろそろご出発になろうとすると一天俄かに曇り、まるで夕方のようになってしまった。

ちょうどその時である。いずこからともなく鳩より少し大きな白い鳥があらわれて、尊の弓の先にとまった。道案内の催促でもするような様子だった。尊はこれをご覧になって、神告の白鳥とおぼしめされ「神意の白鳥が道案内をしてくれるぞ、元気に出発しよう」と、道ともいえない道を白鳥は静かに舞いながら道案内をした。山を下り上州に通じる道に出た。村人数人も一行にお供して、村境まで見送った。白鳥は淀居の里近くまでご案内したという。

それから何年か後のことである。尊の崩御を知った村人たちは大いに悲しみ、縁のあるご休憩跡に遺徳を偲んで1社を建て、尊霊をご神体として大通領神社と名付けた。

さて、この土地に昔からおもしろい習慣があった。大通領神社の氏子は白い家畜を飼わなかった。尊をご案内した真白な神鳥への純朴な信仰に似た心情からであった。だが現在、この習慣はすでに絶えて久しいと云う。

白鳥?後年の白鳥になって飛んでいったという記紀の記述(作為?)にしたがって脚色(創作?^^;)された感もありますが、行軍を迎える村人の歓迎する様子を想像すると、ちょっと楽しいです。

当時の(地方の)人々の感覚、中央からやってきた軍人(&貴人)であるヤマトの「武」を迎える姿は、今でいうと、芸能界の超大物、ビックスターを出迎えるような大騒ぎ? だったのかもしれません。^^

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