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日本の米(環境と文化はかく作られた) 富山和子著

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#写真はGoogleMapで表示させた秩父市の太田条里(古代の条里制の名残を残す水田)#

この2年越しのマイブームといえば、日本の古代史、記紀が書かれるまえの(記紀で扱われる時代の)神話として扱われるような時代のこと。その中でもヤマトタケる(ヤマトの「武」)について探求(妄想?^^;)しています。

ごく最近の関心事、マイブームといえば古墳です。

古墳とは何か
古墳が突然に全国的につくられるようになった背景は何か
古墳の意義は

古墳時代、大和朝廷がその版図を拡大していく時代とはどんな時代なのか。
あるいは、それ以前の倭国の盟主ら(スサノオ、ニギハヤヒ、タケミナカタ?)たちが諸国へ出向いて農業、とりわけ稲作を指導したり、市場を開いて産業を振興した時代(弥生後期?)はどのような状況だったのか。

ヤマトタケるの東国の遠征については、記紀の中では血なまぐさい戦いの記述は無くて、各地の神社に残っている記録でも、戦いの記事というよりも村人から大歓迎されているような様子が書かれていたりで、遠征とは言いながらもその実態は農業指導、産業振興、治水灌漑工事指導に重点が置かれていたのではなかったかと考えています。

時代的には古墳時代であり、その時代の記念碑ともいうべき、圧倒的な存在感の大きな古墳を訪ねてみたり、考古学の本(雑誌)を読んだり、自分なりにいろいろ考えて楽しんでいます。

本記事のタイトル、「日本の米(環境と文化はかく作られた)」については、図書館で何気なく手にした富山和子さんの書かれた1993年初版の中公新書の本です。

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漠然とイメージを膨らませつつあった上の事柄についての、まるで学校の先生が生徒に教えるがごとく? 小中学生に戻って社会の授業でも受けているような気がしました。 (富山和子さん、児童向けにやさしくこの種の本を何冊も書かれています。^^;)

・米、稲という驚くべき恵みの食物の特性について
・水稲農業の普及にともなう国土の大変革、治水、利水の技術の普及について
・古墳の構築技術と米作りのための治水土木技術の共通性

面白く、判りやすいです。

先日、NHKスペシャルを見ての自分なりに大発見をしたように感じたこと、「お米は貨幣だった!」についても、そんなことは当たり前のこと?サラリか書かれておりました。 

とりわけ第2章は、現在のマイブームど真ん中! 「米の文化、古墳」でした。すこし引用します。


私たちは忘れがちだが、畑と水田とは違う。それはもう、根本的に違うといってよい。技術の上でも違うし、それに伴い、社会経済の体制づくりの上でも違ってくる。当然ながらそれは、人間性や社会の体質にまで影響を及ぼさずにはおかない。
水田の場合、まず、水をどこからか引いて来なければならない。水源を探し、川を堰き止め、水路を築く必要になる。
一方、農地についても大工事が必要である。木竹を払い、石を除き、土地を平らにしなければならない。畑地ならば斜面であっても、ソバでも麦でも撒くことはできよう。だが、水を張るのである。水田の底は平らでなければならないし、周りにはしっかりと畦を築いて、水が逃げ出さぬようにしなければならない。

 ・・・中略・・・

このような水の事業は、どれ一つを取っても、とうてい個人ではできないことであった。こうして、共同作業が開始される。水を通して人と人とが結ばれ、水を通して人と大地とがしっかりと結ばれる社会。

 ・・・中略・・・

このように、米を作るということは、水を使うということであり、水を使うには第一に技術が要り、第二に共同作業が、そして第三に人口が必要であった。「一粒万倍」のその稲は、この人口の要求にもよく応えた。大量の水を確保できるようになればそれだけ収穫は安定し、農地は拡大し、生産力が上がり、それは人口の増大を約束してくれる。人口の増大は、より大規模な水田の開発を可能にさせ、それはさらに人口の増大を促すことになった。


 ・・・中略・・・


すでに二世紀には、西日本では、開発できる川はほどんど開発されつくされていたと見られ、あとは次のステップ、溜池の建設による水資源開発を待つしかない状態であった。が、そんな歴史の消長を経て各地に部族国家の小連合ができ、やがて国が統一されるまで、国土改造の大事業はつづくのである。いや、溜池を作り水田を開くその大事業が、国の統一を促したというべきかも知れない。そうした国土大改造事業の華やかなシンボルが古墳であり、その仕上げの作業が、条里制であった。


 ・・・中略・・・

日本列島に二十万基も横たわるという古墳。古墳を見て、あなたはそれが米の文化の産物であることを思い浮かべるであろうか。あるいは子供たちが学校で郷土の歴史を学ぶとき、古墳と自分たちが毎日食べている米と、そして今まさに政治、経済、社会の焦眉の急である米問題とを少しでも関連させながら、教えられるであろうか。


(p35~p40より抜粋)
 

第三章以降についても大変示唆に富む内容が満載されています。(まだ読んでいませんが^^;)

原田常治さんが、その著書「古代日本正史」のなかで、歴史(古代史)を探求するアプローチの幾つか、考古学的なアプローチ、文献研究的なアプローチ、古代主要氏族の系図調査によるアプローチ、神社の縁起研究からのアプローチ、など様々なアプローチの方法について具体的に上げて説明されていたように思いますが、自然の地形(山とか川とか平野とか)を考察することの重要さについても指摘されていたように思います。
考古学嫌いの原田さんの結論は、考古学は沢山のアプローチの中のひとつに過ぎない、歴史を研究するには複眼的な思考、考察ができることが重要である・・だったかな?^^)

古墳の意義について、稲作農業、治水土木の方面からの考察について、感嘆させられました。

名著です。

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