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2013年2月

アップルパイはパパの味?

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最近、アップルパイを(自分で!)焼いています。^^

昭和一桁生まれの母親が神戸で進駐軍に勤務していた頃、アメリカ兵の奥さんからアップルパイ作りを教わったようで、ことあるごとにアップルパイを焼いてくれました。

子供の頃に少しだけ手伝った記憶はありますが、もっぱら食べる役専門で ^^;

その母から作り方(レシピ)を伝授された姉から、うちの娘(長女)がさらに伝授されて、昔のあの味を再現してくれました。

そして、最近、その長女から(私も!)伝授され、なつかしのあの味を何度も楽しんでいます。

家族からも好評だったりします。^^

そのレシピです(備忘録として)

**** アップルパイ(6皿分) ****

■皮

材料

  小麦粉(薄力粉)800g、マーガリン(バター)400g、冷水200cc

作り方

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  小麦粉を2回ふるいにかける。

  マーガリンを小麦粉と一緒に(スケッパー etc で)切り混ぜる。

  冷水を少しずつ加え、耳たぶ状になるまで混ぜる。

  ひとつにまとめラップに包み冷蔵庫で30分以上寝かせる。

  「皮」完成!

■具

材料

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  リンゴ(紅玉がベスト)2kg(皮付きの重さ)、砂糖カップ 1、

  小麦粉 大さじ4、塩 小さじ1/2、シナモン 小さじ2、

  ナツメグ 小さじ1/2、レモン汁 大さじ4(適量)

作り方

  リンゴの皮と芯を取り除き六つ切りにして1mmくらいにスライス。

  (スライスしたリンゴは塩水(分量外)につけておく。)

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  材料を大きなボールに全部入れて木ベラでさくさくかき混ぜる。

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  混ぜ終わったらしばらく涼しい所へ置いておく。 

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  「具」完成!

■パイ皿へ(皮と具を合体)  

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  (寝かせ終わった)「皮」を取り出し、粉打ちしながら麺棒で

  パイ皿より大きく丸く伸ばし、それをパイ皿の上に広げる。

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  パイ皿の周りにはみ出た皮をナイフなどで切り取る。

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  「具」をその上に載せる。ふちを具のリンゴの汁で濡らし、

  パイ皿より大きく丸く伸ばした別の皮を蓋をするように載せる。

  パイ皿の周りにはみ出た皮をナイフなどで切り取る。

  下の皮と(蓋をした)上の皮をフォークの櫛の部分で

  押さえながら(接着しながら)形をつくる。

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  冷蔵庫で寝かせる。(1~2時間)

■オーブンで焼く

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  冷蔵庫から出した皮に切れ目(十字)を入れる。

  卵黄を(「具」の残り汁と混ぜて)パイの表面に塗って焼く。

  目安、200度で1時間くらい。  

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電気代が安くなる?

という新手の営業電話がかかってきました。 

娘が受けた電話で、「難しいことは判らないので父に代わります」で、受けた電話です。

「今お時間よろしいですか?・・をご存知時ですか?(お徳です。安くなります。)」

「え~と・・(ハイ、お徳です、安くなりますの切り口のダイレクト営業は、あまり相手にしないことを信条としております。 ^^) 今、TVがちょうどいい所でして ・・」

この手のダイレクト営業(訪問、電話)で多いのはインターネットプロバイダーのものが多かったのですが、

電気代?

電話の相手は、とても丁寧な語り口の女性の営業だったのですが、(お徳です、お安くなりますと)なにやら怪しげだったので話半分で電話を切りました。

後ほど

教えて Google先生! 「電気代 安くなる 営業電話」

やっぱりネ ^^;

電力会社の名をかたる詐欺? 迷惑営業電話のようです。

http://www.pref.mie.lg.jp/SHOUHI/HP/topics/chuden.htm

http://preservationpotblog.blog137.fc2.com/blog-entry-476.html

お得な話には、必ず裏がありますねぇ~~ ^^;

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ファミリーヒストリー その四(お召し列車とグロスター公)

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終戦の日に行方不明(命日が1945.8.15)の祖父についての調査のその後、祖父が「お召し列車」で通訳をした?という眉唾もんのエピソードについて ^^;

既に他界した父は、大真面目に(お召し列車エピソードを)話していたのを覚えています。

母は・・まったく信用していなかったようですけどネ ^^;

父がこの話を話していた様子を思い出してみるに、「お召し列車」という言葉は確かに語っていましたが、その列車に誰が乗っていたかについては語っていなかった?ように思います。

すくなくとも昭和天皇など皇族の方々が乗っていたとしたならば、必ずそのことについて言及していたでしょう。なので、お召し列車とは言うものの、列車に乗っていたのは海外からの要人のみ? だったのかもしれません。

そんなことを色々と妄想していたら、姉から思いがけない情報が入ってきました。

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「昭和4年にグロスター公が来日して日本各地を訪問した際に、岐阜に立ち寄って日本ライン(川下り)を楽しまれた。」

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この岐阜観光(犬山日本ラインくだり)については、元々は予定に無かったが、そもそもの訪問予定地であった大阪での伝染病(ペスト)流行事件をうけて急遽予定変更されて設定されたということのようです。

もしかしたら、祖父はその岐阜での観光案内のために現地通訳として呼ばれたのかもしれない。

なぜ祖父が?という点についての推察ですが

ひとつには岐阜での活動写真の弁士としての名声と語学(英語)力についての評判によるもの。

もうひとつは、幼少から成人するまでの間に祖父の周りにあったかもしれないキリスト教宣教師(聖公会)との関連においての人選、聖公会つながり? (これについては、あくまで想像、根拠あやしげです)

お召し列車エピソード、真偽のほどは不明ですが、当時の新聞記事とともにもたらされたこのネタ(グロスター公、ガーター勲章)について関連して調べていくと結構勉強になって楽しかったです。

Q1 そもそもグロスター公って誰? 

 A1 イギリスの貴族らしい。

Q2 なぜ日本に? 

 A2 ガーター勲章の叙勲のためにジョージ五世国王の代理としての訪日らしい。

    ガーター勲章使節団の団長だった?

Q3 ガーター勲章って何?

 A3 アーサー王と円卓の騎士団 のとあるエピソードがきっかけの勲章らしい。

 読み間違いでした^^;

~~

ガーター勲章の母体であるガーター騎士団の設立時期については1344年1月にエドワード3世がウィンザーで円卓を使用した饗宴を催した際に「アーサー王と円卓の騎士」の故事に基づいてフランスとの百年戦争への団結を深めたという出来事を発端とする1344年説と、1348年8月にエドワード3世が、自身と長男のエドワード黒太子及び24名の騎士によって騎士団を編成し、ウインザー城に召集した出来事を設立と見なす1348年説があるが、近年では1348年説が有力視されている。

ただし、この騎士団設立の経緯については長らく『貴婦人の靴下止め』伝説が広く知られていた。エドワード3世が舞踏会で貴婦人とダンスを踊っていたとき、貴婦人の靴下止め(ガーター)が外れて落ちた。これは、現代の感覚では下着を落とすことに等しいことであり、それを見た周りの紳士、淑女は忍び笑いをした。しかし、エドワード3世は何食わぬ顔でそれを拾い上げ「他人を悪く言う者に災いあれ」と言って自分の左足に付けたというものである。ちなみに、この靴下止めを落としたとされる貴婦人は、後にエドワード黒太子の妃となったソールズベリー伯夫人ジョアン・オブ・ケントであると言われている。

また、聖ジョージ(聖ゲオルギウス)が竜から姫を助けたという伝説にちなみ、リチャード獅子心王が十字軍の時に戦場でガーターを付け、部下にもつけさせた故事からきたとも言う。エドワード3世は聖ジョージを好み、イングランドの守護聖人とした人物なので、これらからガーター勲章を考案したとも考えられている。

創立時のガーター騎士はエドワード黒太子、ランカスター公ヘンリー・オブ・グロスモントら24名であった。

~~ (wikipedia 「ガーター勲章」より)

 騎士団とか、ドラゴンとか・・、まるでハリーポッターの物語のような説もあるようですがねぇ~~ ^^

Q4 なぜ日本の天皇が叙勲されるのか?

 A4 日英同盟の関係により叙勲された。

~~

ガーター勲章の外国人への叙勲は、原則としてキリスト教徒であるヨーロッパの君主制国家の君主に限られており、ヨーロッパ以外の国の君主や非キリスト教徒の君主に対しては、その国がイギリスと特別な関係にあり、政策上特別な事情がある場合に限り例外的に贈られている。
・・
日本に対しては、日英同盟の関係から1906年に明治天皇が東アジアの国の元首として初めて贈られ、以後の歴代天皇も授与されている。大正天皇は1912年、昭和天皇が1929年にそれぞれ叙勲されたが、第二次世界大戦中は敵国となったため昭和天皇の名前が騎士団の名簿から抹消され、バナーも撤去された。しかし、1971年10月のイギリス訪問時に復帰し、今上天皇も1998年のイギリス訪問時に他国の王室に授けられる“Stranger Knights and Ladies”のガーター勲章に叙せられた。

1902年にモザッファロッディーン・シャーに対して贈られて以降、日本の天皇以外で非キリスト教徒の外国君主が叙された例はなく、エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世が退位により団員資格を喪失した1974年以降は、ヨーロッパ人以外でガーター騎士団に叙されているのも日本の天皇のみである。

~~ (wikipedia 「ガーター勲章」より)

Q5 円卓の騎士団って? (常識かな?^^;)

 A5 ・・・

教えて!Google先生♪

 楽しいねぇ~~ ^^

ところで、お召し列車(皇室用客車)については、 wikipediaで次のような記述がありました。

~~

10号御料車

10号御料車の形式図10号御料車は、1922年(大正11年)4月にイギリス皇太子エドワード・アルバート公(後のエドワード8世、ウィンザー公)来日に際して、食堂車である11号御料車、寝台車であるスイネ28110(後の700号供奉車)とともに鉄道省大井工場で製造された国賓用御料車で、御料車中唯一の展望車である。

車体は大型客車に属する木製のモニター屋根で、台車は大正6年度基本型の3軸ボギー台車である。全長は20.0m、幅は2.880m、高さは3.904m、自重は34.50tで、外板は深紅色の漆塗りで、金線で装飾され(現在は廃止されている)ており、車体中央部の腰板に菊の御紋章が取付けられている。

車内は、展望室(御座所)、休憩室、化粧室、供奉員室(3室)、供奉員化粧室、車掌室に区分されており、展望室を除いて片廊下式となっている。展望室の長さは6.317mで、妻には大型ガラス窓、側窓は幅1220mmの大型のガラス窓が4枚設けられており、後部は開放式の展望デッキとなっている。展望室の天井は若草色の絹地に花の刺繍、側天井も絹張りで雲取り金箔を散らし、欄間には花菱の七宝焼きが取り付けられている。室内には、安楽椅子8脚とテーブルが2台置かれており、乗車の賓客の歓談に用いられる。

本車は、この他にも多くの外国の王族が来日した際に用いられ、特筆すべきものとしては、1929年 (昭和4年)5月の グロスター公、1931年(昭和6年)4月のシャム(タイ)国皇帝夫妻や、1932年(昭和7年)3月の満州国皇帝愛新覚羅溥儀の御乗用がある。また、皇太子(当時。後の昭和天皇)や皇太后のお召し列車にも連結されたことがある。

太平洋戦争後の1945年(昭和20年)10月29日、本車は11号御料車とともに連合国軍に接収され、軍番号2101(軍名称ASHEVILLE(アッシュビル)、省番号スイテ10)となり、第8軍司令官専用列車Octagonian(オクタゴニアン)号の編成に組み込まれた。1946年2月には、司令官の交代にともない、軍名称がBALTIMORE(ボルチモア)と改称されている。

本車の接収は、11号とともに1951年(昭和26年)6月23日に解除され、7月1日に御料車に復したが、その後は使用されることなく大井工場に保管され、1959年(昭和34年)10月に廃車となった。1965年(昭和40年)には11号とともに解体されかかったが、関係者による保存運動が功を奏して解体を免れ、1969年(昭和44年)に鉄道記念物に指定された。

長らく東京総合車両センターに保管されていたが、2007年10月14日にさいたま市大宮区に開館した鉄道博物館に移され、展示されている。

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~~ (wikipedia [皇室用客車] より)

大宮の鉄道博物館に現物!が保管展示されてるって!? 笑)

こんど見に行こう♪ ^^

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勝田マラソン出走記 -失速記?^^;-

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第61回勝田マラソンということで、これまで60回の開催実績を誇る歴史あるマラソン大会です。

実際に走ってみて、流石は歴史ある大会!との感想をもちました。

以下、コース案内(レース写真)を交えつつの出走記となります。

Map1

マラソンコース、大会会場&ゴール地点は勝田駅近くの公園となります。スタート地点は公園のすぐ近く、駅の方向に走る車道を封鎖して整列することになります。

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写真はスタート地点を逆方向から撮影したもの(スタート20分前)

スタート時の整列(ブロック)は、陸連登録と一般の区別なく、申告タイム順のブロックになります。(が、廻りをみるとかならずしも該当ブロックでないゼッケンの選手が多数・・ ^^;)

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■Start 0:2:30 

Cブロックの最後尾に並んで、スタートロスタイムが2分半程度でした。スタート地点にはゲストランナーのエリック ・ワイナイナ(オリンピック金メダリスト)が!

700mほど直進し、勝田駅前からの大きな交差点を右折、その後5km地点までは片側2車線の広い道を進みます。

右折する直前、応援のHさんから声援いただきました♪

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■5km 0:28:19 0:25:49 0:5:10

  (スプリット ラップ ペース)

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Map3

5km地点を過ぎてすぐに、駅前からつづく広い道を右折、県道351号を2kmほど南に走ります。

国道245号にぶつかって、そこを左折するあたりが7km地点、コンビニ(ミニストップ)が曲がり角にあります。

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コンビニを左に見てから国道245号をしばらく(8kmほど)北にむかって走りますが、片側2車線の広々した道が真っ直ぐに伸びています。やがて10kmの計時ライン。

■10km 0:53:13 0:24:54 0:04:59

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順調です。

少し走ると今後は気持ちの良いアップダウンが見えてきます♪

Map4

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ところで、この国道245号線の区間、原子力で有名な東海村という場所になります。GoogleMapで拡大してみると左右に「原子力××」と名のつく建物がぞくぞく ^^;

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私設エイド? 原子力研究所関連施設提供の給水サービスがありました。^^

15kmの計時ライン通過、順調です。

■15km 1:18:38 0:25:25 0:05:05

15km地点を過ぎて直ぐの場所、コンビニ(セブンイレブン)を左折です。

が、左折するその直前に後方から声がけしながら軽快な走りの黒人選手、エリック・ワイナイナさんが通過していきました。^^

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県道62号を西に3kmほど走り、常磐線の東海駅付近を越えたあたりで左折、南西方向に走ります。

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Map5

■20km 1:43:51 0:25:13 0:5:03

常磐線と並行して3kmほど走ったら笠松運動公園付近の孫目東交差点(ローソンあり)を左折します。

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前半の走り、極力足を消耗しないようにキロ5分ペースあたりで押さえながら・・です。ここまでは作戦どおりの走りができています。

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ここから更に3kmほど南下、常磐線の佐和駅をすこし過ぎたあたりを左折します。

左折して直ぐの場所が25km地点、そして常磐線の陸橋の上り坂となります。

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■25km 2:10:17 0:26:25 0:5:17

20km地点までは順調に走ってきましたが、そろそろ足が品切れ、スピードか削られてきました。

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大きな陸橋のアップダウン、けっこうダメージが大きいようで、その後おおきくペースダウンしていきます。

25km地点から35km地点までの10kmは、コースが複雑に変化します。27km地点で右折し、太陽に向って(逆光で)1kmほど走ったかとおもったら大きく左折左折、すぐに右折右折と目まぐるしく進行方向が変わっていきます。

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29km付近、私設エイドで大きな梅干をいただきました。ペロリです。(身体が塩分を要求しています^^)

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私設エイド、ここらへんからゴールまで、幾つも幾つも現れます。ありがたいです。^^

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■30km 2:42:16 0:32:00 0:06:24

25km-30kmの5kmのラップが32分ということで、とうとう6分ペースを下回りました。完全に足がお亡くなりになりました。 orz

ゴールまで12km以上も残っているのに、この足の疲労感 orz

「準備不足で臨んだフルマラソン、練習マラソンとして完走すればOK!」

開き直り?です ^^;

後は、ゴールまで極力歩かずに、残り少ない「足」を極力温存しながら・・・です。

私設エイドで、チョコやらバナナやらを頂きつつ(食べることで気分転換しながら)ゴールを目差しました。

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33km付近ではバナナをいただきました。この後、いたるところでチョコやらバナナやら・・・

34km付近、県道31号線を東に進んでいます。左側に勝田ゴルフがあるあたり、このあたりで疲労感がかなり強く、微妙な上り坂ではありますがガックリとスピードが落ちてしまいました。

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■35km 03:14:34 0:34:48 0:06:58

35km付近で右折、往路で通った国道245号と並行した道を南に向って走ります。35kmあたりから完全に撃沈、歩道を歩いたりしながら進みました。ゴールまで残り7km? 遠いなぁ~~ orz

サングラスカメラ(aigoF556)でのコースの写真撮影を中断し、MPEGプレーヤーモードに切り替えて、気分転換しました。音楽エイド?で、テンポの良いピンクレディーの曲を注入しました。幾分か回復?

37.5km付近の交差点で右折、勝田駅から真っ直ぐ伸びる大通りを駅の方向に進みます。往路でも通った道です。

■40km 3:53:06 0:36:02 0:07:12

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41km過ぎで左折、石川運動広場(大会会場、ゴール地点)に向って南に向っていきます。

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500mほど走ると今後は右折し西に向って。スタートしてから4時間を少々過ぎてしまいました。(サブ4を逃しました。)

時刻は既に午後の2時半過ぎ、西に傾いた太陽が正面から顔を照らします。

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あれ、わたしを呼ぶ声が!! ^^

(今大会で応援のため同行いただいたHさんです。写真を撮って下さいました。)

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さあ、最後の左折です。ここを左折すると、会場内のゴールまでのストレートコース、芝生の道です。

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長かった・・・・ orz

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■Goal(42.195k) 4:08:31 0:08:10

最後の2kmは8分をオーバーするペースです。苦笑)

それでも、完全な歩き(大撃沈?)にはならなかったので、10分ペースになることは免れたのは不幸中の幸い? 

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練習不足(直前2ヶ月の練習量、12月:117km、1月:73km)でフルマラソンを走ると・・この有様です。

実に、「走らなかった距離は裏切らない。」 です。 

大いに反省し、3月の板橋CITYマラソンでのリベンジを心に誓いました。^^;

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