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川越散歩(1) プロローグ

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川越市役所の前に来ています。

今年に入ってからランニングをサボリ過ぎたので体調がおかしくなってきました。食事に特に気をつかうことなく、スナック菓子、チョコレートなどを貪り食らう日々ですが、過剰摂取したカロリーについては、ランニングをすることで適度に消費されている?
そのため、毎年、冬になって(寒さのため練習をサボリ)走行距離が落ちてくると同時に体重が増えていきます。体重でけでなく血圧も高めになってくるようで、なんとなく体調が悪くなってくるのを自覚しています。
そろそろ走らないと・・・。
ということで?
2010年の秋に行った 小江戸川越ファンランのコースをゆっくりと(名所名跡めぐりをしながら)走ることにしました。ついでに歴史のお勉強も ^^
というわけで、小江戸川越ファンランのスタート地点に立つ 太田道灌さんについてネットで色々調べながら、戦国時代の関東の歴史を学んでいきたく思っています。
で、太田道灌って何した人?
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銅像の台座に由緒のようなものがあります。
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~~ 太田氏が川越城を築き、更に、江戸城を築いて川越の文化を江戸に移したので、川越は江戸の母と呼ばれた。 ~~
太田道灌といえば誰でもが知っている有名なエピソードは次のふたつ。
1 築城の名手(川越城、江戸城 etc)
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市庁舎前に立つ川越城の概略図
2 山吹の里での少女との出会い
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銅像の左手にある弓矢は優秀な武人としての道灌公を表わしていますが、その右手にあるのは少女より手渡された山吹です。
~ 江戸時代に記された書物によれば、鷹狩りをしていた道灌は、雨が降ってきたので農家で蓑を借りようとしました。ところが、農家の娘は蓑ではなく山吹の花を黙って差し出したので、「花がほしかったのではない」と道灌は怒って帰ってしまったそうです。
この話を聞いた人からは、「娘は、『七重八重 花は咲けども山吹の みの(蓑)ひとつだに なきぞ悲しき』という古い和歌に『お貸しできる蓑はございません』ということを託したのでは」と言われ、道灌はたいへん驚いたそうです。
それを機に道灌は歌に関心を持つようになり、後に歌人として名を成したと伝えられています。 ~(川越市ホームページより) ~
太田道灌は自分の無知を恥じて和歌の(文学の)方面でも研鑽していった・・とのことです。
これらの断片的なエピソードのみ知っていますが、今回、もうすこし詳しく(その生涯を)調べていきたいと思っています。
川越城が築かれた時代(戦国時代)の関東地方はどのような状況であったのか、どのような背景で城が築かれたのか、太田氏の立場、太田道灌はどのような家系であったのか。同時代を生きた(同い年の)北条早雲、道灌が亡くなった後での出来事、日本の三大夜戦に数えられる川越夜戦とはなんだったのか・・・
すっげぇヘビーなテーマだなぁ~ (これで、当面のブログネタは確保できたかな?w)

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