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2018年2月

インフルエンザ

職場にインフルエンザが流行っている? カミさんの勤め先(パート)でのことです。そんな折、すでに罹患した疑いが濃厚のカミさんと外せない用があり車に同乗して半日を過ごすことに・・・

助手席に市販の風邪薬を飲んでだましだまし・・とうとう道端で吐くまでに ><
なんとか用を済ませ自宅に戻ったものの、気づけば自分も咳をして、頭がうっすらと頭痛気味でした。

翌朝、二人で病院に行き、鼻に綿棒を突っ込まれてインフルエンザの検査をしてもらったところ、見事に「A」判定でした。

インフルエンザ、19年振りです! 19年前は40度近い発熱となり病院で点滴をしてもらうところまで行きましたが、今年のそれは、発熱に関しては37度台で収まっています。


5日間の隔離(出社禁止、自宅待機) を厳命されました。 orz

職場の自分の業務は、3名で交代で(1日2名で)回してるので、他の二人には多大な迷惑をおかけすることに・・・・・
だからぁ~ 予防接種を受けとけばこんな事態は回避できたでしょ!(と、良心の声)
後の祭り orz

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ヤマトの「武」の情景(14)

Photo_2
久々です。(このカテゴリー、まだ生きていた?w)

八郷盆地の丸山古墳のお話です。
崇神天皇の皇子で東国(木国=毛国?)に派遣され、東国の開発の礎になった豊城入彦命がそこに祀られているという伝承がある?とのことです。
豊城入彦命(豊木入日子命)については、かつて記事にしたことがあります。
http://yellow-black.cocolog-nifty.com/tabi/2012/02/post-4432.html

八郷(やさと)という地名については、最近なんども耳にしていました。一昨年頃から、ダーチャ(ロシア式週末農園別荘?)を筑波山の麓、常陸の国の某所に取得した姉(の「たちはな亭」)の手伝いを何度かしていますが、そのダーチャ横丁の住人(お隣さん)の方が八郷盆地が出身地とのことです。

そして八郷盆地の果物が素晴らしいということで、フルーツラインなる一年中果物狩りができる(かもしれない)道があるとか、その近くにあるフラワーパークで買った宇宙芋がどうとか、茅葺屋根の旧家が沢山残っていて観光名所になっているとか、面白い(時事?)ネタとしては、フィギュアスケートで有名な羽生弓弦君の出身地(かと思わせるような地名)があったりw
なんだか、カオスな香り漂う妖しげな土地のようです。「たちはな亭」さん、なんどもこの地名を連呼してその素晴らしさを主張されていたように思いますが、 え? なに?なんなの? いまいちピンとこなくて、気に留めることなく過ぎていました。

ところで、手伝いのついでにちょっとだけ観光を・・ということで、筑波山に登り、筑波神社に詣でたときに、山門に仁王像よろしく、マイヒーローのヤマトの「武」と、豊木入日子命のブロンズ像があり写真を撮りました。それがトップの写真、左が「武」で右が「豊木入日子命」です。

以下、由緒書きです。

Yamatotake_1 Toyoki_1

豊木入日子命の内容を以下に(そのまま)引用します。
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豊木入日子命
筑波山に縁り深い古代武人の一人で第十第崇神天皇の皇子である。命が或る夜大和国みもろ山に登って東に向かい刀と槍を各八回振る様を夢見られ天皇は霊夢の謎を解き給いて命を東国(木国)に遣わし給う。命は永くこの地を治められ筑波の里で神去り給うたがご遺徳を慕う山西の民により宇都宮二荒山神社に祀られて下毛君 上毛君の祖と仰がれた。五世紀頃山東の柿岡に栄えた佐自奴君(さじぬのきみ)もまた同族である。
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霊夢と謎解きの話は記紀に記述されている有名なお話です。宇都宮の二荒山神社には実際に参拝しています。注目すべきは、「~永くこの地を治められ筑波の里でお亡くなりになって(神去り給うて)~ 柿岡に栄えた佐自奴君(さじぬのきみ)もまた同族 ~」の下り。

お亡くなりになったということは、その御陵なり古墳なりが伝承されているかもしれない?

明確な地名「柿岡」について調べると、地理的には現在の石岡市柿岡町は八郷盆地のほぼど真ん中、筑波山からみて山東に位置したところにありました。
Kakioka_map Kakioka_map2
地図でみると、柿岡地区の中に丸山古墳とあり、拡大してみると「佐自奴君」の氏神であろう神社、佐志能神社もありました。さらに調べると

Maruyama_1 Maruyama_2 Maruyama_3

※詳しい探訪記など見つけました↓
http://blog.goo.ne.jp/hanako1033/e/981518985f4f38ca0d29e3717c495c37
(「ビーズうさぎのハナちゃんです!」より)
(Google! 現地に行かなくてここまで情報収集が出来るっていいね!)

古墳の発掘調査によって発見された副葬品については、柿岡博物館に所蔵されていると書かれていますが、近くの中央公民館に展示されたりもしているようで、Googleで展示物の写真を確認できました。

Maruyama_4 Maruyama_5 Maruyama_6
http://www.city.ishioka.lg.jp/page/page000826.html
前方後円墳の前の形式である(かなり古い)前方後方墳であること、副葬品に畿内(大和、奈良)の影響を受けたであろう特徴が色濃く見られること、何よりも伝承としてハッキリと豊木入日子命の奥津城(御陵)であると語り継がれており、古墳が荒らされることなく大事に残されているとのこと。

それにしても、豊木入日子命の副葬品である可能性のある(史料価値の高い、一級品の副葬品である発掘資料の)鉄剣とか勾玉とか鏡とかを、こんなセキュリティーの甘い(簡単に盗難されそうな?)公民館のロビーに展示してある?! ちょっとした驚きです。国宝級の資料のような気がするのですが。
その価値が判ったいない(世間一般に知れ渡っていない)今こそがチャンス!?
(すぐ近くで見れるチャンス!って意味ですよ!w)
Kasaoka_kouminkan


数年前のこと、毛国巡りということで群馬県の大きな古墳を探訪しながら豊城入彦命の御陵を探したことがありますが、このときに訪れた古墳については根拠乏しく名乗りを上げたもん勝ち? のような無理やり感の強い”治定”であったり、明らかに時代がズレているような説明であったりしました。
http://yellow-black.cocolog-nifty.com/tabi/2012/02/post-8388.html
http://yellow-black.cocolog-nifty.com/tabi/2012/02/post-f66b.html
http://yellow-black.cocolog-nifty.com/tabi/2012/03/post-6134.html

実は、毛国よりも、常陸国のほうが古いかもしれない? (当時においては先進的、先に開拓された、関東開拓の拠点だった!) 毛国(群馬、栃木)ではなく、常陸(茨城)にある古墳のほうが、豊城入彦命の陵として妥当性が高い?

東海道とは、今でこそ陸上の道を思い浮かべるが、そもそもは海の道であり、その終点が霞ヶ浦を経て上陸する場所である常陸国の(筑波山の山東の方向にある)石岡市あたり・・・。
丸山古墳
これは、当たり! かもしれない?(豊城入彦命の陵として)

ヤマトの「武」が東国を遠征するもっと前に、すでのこの地には崇神天皇により四道将軍が遣わされたり、豊城入彦命が遣わされており、それらの(開拓の)先人があったからこその、ヤマトの「武」の東国遠征であったということですね。

ところで、筑波山という山を、これまでは陸から、関東平野の西側(埼玉)から眺めて、近づいていきながら、特に感慨もなく・・・だったのですが、
古代の人、東海道を「海の道」として使っていた頃の人たちにとってのこの山影は、旅の終わりを告げる象徴的なシンボルだった?

東海道を、太平洋の海路を遠路はるばる航海してきて、ときには太平洋の荒波を受けながら、やっとのことで霞ヶ浦の穏やか流れに進みゆき、ようやく到着した東海道の終着点である常陸の国府に近づいてきたことを知る。そして、目前には特徴的な筑波山の山影があり、その山影が近づくことで、旅の終わりを感じ、航海の無事を感謝した・・・

古代人にとっての筑波山に対する感慨は、海(霞ヶ浦)側から見たときの、旅の安全の感謝を込めたものだったかも。

ヤマトの「武」も、ようやくたどり着いた霞ヶ浦の津(みなと)からこの山影を臨みつつ、旅の無事を(実は、オトタチバナは無事でした^^;)感謝したことでしょう。
丸山古墳のある丘の神社、佐志能神社の御祭神には、しっかりとヤマトの「武」、すなわちヤマト「武」も祀られているようです。
http://www.genbu.net/data/hitati/sasino3_title.htm

ところで、トップのヤマトの「武」の銅像、カッコいいですね♪
(秩父の三峰神社のそれが・・ちょっとねぇ~ ^^;)

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埼玉県駅伝の応援(撮影)

埼玉県駅伝の応援(撮影)をしてきました。
詳しい結果は坂戸陸協のブログ(掲示板)にアップしましたので、ここでは撮影(応援)についてのいろいろ。
1.カメラ
今回、ヤフオク入手の中古(訳あり)カメラ、SONYのDSC-HX9Vを3台用意しました。1台は動作に問題なく安心して使える1台。もう1台は使用中にズーム機能が使えなくなる恐れがある1台とフラッシュが使えない(かもしれない)1台。 そしてアクションカムのMUSONを1台の4台で撮影しました。
Dschx9v
2.補助具
1脚を2本と折り畳みの踏み台。いずれも応援の人垣超しに撮影するための道具です。ただし、踏み台と1脚(3段式)については第1中継所での撮影用として(撮影の手伝いを頼んだ中継所スタッフの方に)お願いしました。移動しながらの持ち歩きは4段の1脚のみです。前週の奥むさし駅伝で試した伸縮棒とアクションカムによるモニタリング確認によって高所撮影を試みました。
Dsc03203_s


3.撮影場所と撮影結果

第1中継所の撮影場所、前回と同じく、選手の中継場所の右前方(反対車線)の15m程度の場所としました。接近してくる選手とタスキの中継後の選手の両方を撮影できる最適な場所でした。




第3中継所の撮影場所、前回と同様(第1と同様)です。ズームを大きくし過ぎたために接近してくる選手の様子を1画面の中で同時に確認できない映像となってしまいました。選手の表情はよく撮れてますが中継所に接近してくる緊迫感がいまひとつ。



第5中継所の撮影場所、前回は中継場所の前方の左側(反対車線)の30mほど過ぎた場所からズーム(望遠)で狙ったために、手振れが酷く(補正が効かず)上手に撮影できなかった反省より、中継所からさほど離れない場所からの撮影としました。こちらも、選手の表情を優先してズームを大きくしたために接近してくる選手の様子が確認できない、やはり中継の様子のみの映像となってしまいました。
 
4.編集
坂戸陸協として編集した動画、こちらです。ムービーメーカーによるお手軽編集で済ませています。BGMも去年使用したそれを(今年もそのまま)使っています。
動画編集については、最初は手探りで(簡単な編集、不要部分のカットのみで)やってましたが、BGMとコメントを使うことが出来るようになった去年あたりから、ちょっとだけレベルが上がった・・かな? ^^;

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