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川ランナー(変わらんなー?)

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橋ランナー(走らんな~) 川ランナー(変わらんな~) 丘パドラー の紀伊九郎のブログということで始めたブログです。

最近の状況はということ、ランニングについては夏前にギックリ腰をやってしまった頃よりモチベーションがガタ落ち状態で、月間走行距離(練習量)は、ほぼゼロです。

川ランナーについてはどうかというと、ベニヤ板でカヌーを自作し、そのカヌーで古代の舟運で使われていたであろう川の道を辿ろう~という当初の目論見はどこえやら。 軒下に保管されている(放置されている)ベニヤカヌーのマリリン号は朽ち果てる寸前。文字道理の丘パドラーですが。

ところで、トップの写真は、先日、姉(「たちはな亭」)と一緒に訪ずれた土浦城博物館に展示されている高瀬舟です。同博物館では霞ヶ浦および土浦、利根川、舟運といったことについて展示されていました。同館に展示されていたパネルを何枚か撮影しました。


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というわけで、利根川の舟運について興味をもったので、ここ何日か、ネットであれこれ調べています。

利根川という川は、昔から(現在のように)銚子の方に流れていたのではなく人工的に流れを変える工事(瀬替え)が(江戸時代に)行われたというのは以前から知ってました。(寄居の川の博物館でも展示紹介されていました。)

それまでは東京湾(江戸湾)に流れ込んでいたが、その工事がなされる前の(古代からの)霞ヶ浦とかの水郷地帯あたりに、今よりも遥かに大きい内海が広がっていた。

東海道の終点である常陸国(現在の茨城県石岡市)へ至る最後の行程は、房総半島の外海(太平洋)を経由するのではなく、現在の江戸川とか、手賀沼、牛久沼あたりの巨大な内海を経由して辿り着いた・・・。東海道、東の海の道。海とはいいつつも太平洋ではなくて、内海(うちうみ、川とか湖沼)だったのか? ヤマトタケルの時代の東海道の経路は、どうだったのか? 興味がつきないです。 ※リンクはネットで知ったその道のプロ?の方のブログとかHP

江戸時代に行われた瀬替え(河川改修工事)についても、その目的は治水(洪水対策)や灌漑(農業用水確保)であるよりも、利水、舟運のための安全な水路整備であったかも? ということらしいです。

現代(明治期)においても江戸川と利根川を結ぶ運河が開削され、物資の船舶による輸送経路の整備が行われたということです。(利根運河) ただし、これは鉄道輸送の発達により廃止されたようですが。

言い換えれば、鉄道輸送という革新的な輸送手段が発明されるまでは、舟運がもっとも効果的効率的な輸送手段であり、ヤマトタケルさんの(古事記日本書紀の)時代から明治の初期に至るまで(1700年近く)変わらぬ風景であった・・・ということ。

長い、長~い、前置きでしたが、何が言いたいかというと、本日、(長女を連れて)利根川を散策してきました。w

「お~い、関宿城博物館に行って、利根川の舟運などについて見学しに行くけど、行く?」

「行く行く」

で、1時間かけて、・・・

なんと、予想外の臨時休館日 orz
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